透子日記『最初の頁』

今日は、少し長い話になります。

自分の嗜好は、いつから始まったのだろう。
そう考えると、私は随分と昔の記憶まで遡ることになります。

もちろん、その頃の私には、SMという言葉も、性に関する知識も全くありませんでした。
痛みや苦しみが快楽につながることも、そもそも「転んで擦りむいた」「紙で指を切った」以外の痛みがどんなものなのかすら、知らなかったはずです。

それでも、子どもの頃に繰り返し想像していたことや、なぜか忘れられなかった場面が三つほどあります。
 
どうしてそんなものに心を留めたのか。
当時の自分が、そこで何を感じていたのか。

今でも、はっきりとは分かりません。
けれど、あれから二十年が経った今も、思い出そうとすれば、その時の景色だけは妙に鮮明なのです。


ひとつ目は、今となっては笑ってしまうような想像です。

漫画やアニメの中で、男の子が身体の一部をぶつけて、とても痛そうにしている場面を見たことがありました。
周囲の会話からも、どうやら男性には、ぶつけるとひどく痛む場所があるらしいと知りました。

その頃の私は、それがどのような形をしているのかほとんど分かっていませんでした。
ただ、どういうわけか、自分にもそれがあればいいのにと思ったのです。

私が想像したそれは、猫の尻尾のように長く、地面を引きずるほどのものでした。
しかも透明で、周囲の人からは見えません。
誰にも見えないまま地面に伸びているので、道を歩く人たちは、それがそこにあることを知りません。
悪気もなく、次々と踏んでいきます。

自分の身体に、誰にも見えない弱い場所がある。
痛いと分かっているのに、隠すことも守ることもできず、何度も踏みつけられる。
そんな想像を、何度もしていました。

どんな痛みなのか、どれほど痛むのかさえ知らない。
それなのに、痛がる自分を繰り返し思い描いていた。
理由は分からないまま、その奇妙なイメージだけが、今も記憶に残っています。


ふたつ目は、日曜日の朝に見ていたアニメの記憶です。

物語の筋も、登場人物の名前もほとんど覚えていません。
ただ、明るくて強かったはずのヒロインが、モンスターの触手のようなものに捕らえられていた場面だけを覚えています。

幾重にも絡みついた触手は、隙間がなくなるほど彼女の身体をきつく締め上げていました。
幼い私は、その姿から目を離せませんでした。

強いヒロインが負けているから、というだけではなかったように思います。
自由に動けていた身体が、時が止まったように一つの形を保つことを強いられている。
締めつけられたことで、身体の線がいつもよりはっきりと浮かび上がっている。
そして彼女が、普段とは違う苦しげな表情を見せている。
それを、なぜだかとても綺麗だと思いました。

苦しそうなのに、綺麗。
その二つが幼い自分の中でどのようにつながっていたのかは、やはり説明できません。

その後、彼女が誰かに助け出されたのか、自力で危機から脱出したのか、結末は覚えていません。
私の中に残ったのは、いつもとは違う彼女の姿だけでした。

当時の私がアニメの中に見たものと、今の私が縄に感じているものが、まったく同じだとは思いません。
それでも、自由を奪われた身体に、目を奪われるような美しさを感じること。
その感覚の始まりは、もしかすると、あの場面にあったのかもしれません。


三つ目は、少し説明の難しい記憶です。

つけっぱなしのテレビから、人に加えられた苛烈な暴力について耳にしたことがありました。
おそらく歴史番組か、報道番組か。

何が起きていたのかを、あの時の私は正しく理解していなかったと思います。
現実に傷つけられた方がいることも、その痛みが空想とは比べものにならないことも、今の私ほどには分かっていませんでした。

ただ、人間が人間に対して、そこまで一方的な力を及ぼしてしまうことがあるのだと知りました。
怖い、かわいそう、という感情よりも先に、その力の前で立ち止まってしまった自分を覚えています。

もちろん、現実の暴力を望ましいものだと思ったわけではありません。
しかし、幼い私の想像は、そこから不自然な方向へ伸びていきました。

自分の意思が何ひとつ通じない場所へ置かれ、逃げることも助けを求めることもできない。
次に何をされるのかも分からないまま、自分より圧倒的な力を持った存在によって、痛みや苦しみを強いられる。
人として守られているはずのものが、そこでは通用しなくなる……

実際の苦痛など想像もつきませんでしたし、自分が本当に耐えられると思っていたわけでもないでしょう。
それでも、そうした状況を思い浮かべると、怖いのに、そこで想像を止めることができませんでした。


この三つは、まったく異なる記憶のように見えます。
けれど今の私から振り返ると、そこには同じものが流れていたのだと思います。

痛みに惹かれていたのか。
自由を奪われることを望んでいたのか。
抗っても何ひとつ変えられない状況に、自分を明け渡したかったのか。

おそらく、どれかひとつではありません。
まだ欲に名前を持たなかった私の中に、それらは区別されないまま、ひとつの景色として存在していたのでしょう。

大人になってSMという言葉を知った時。
離れていた三つの記憶は、初めてひと続きのものとして私の前に現れました。

ずっとそこにあったものへ、ようやく名前が追いついた。
振り返れば、あれこそが最初の頁だったのだと思います。

その先で、私がどのようにSMを知り、足を踏み入れることを望むようになったのか。
それはまたいつか、次の頁でお話しさせてください。

葉末 透子

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