暫く、間が空いてしまいました。
先週、急性の炎症で熱を出し、身体を休めておりました。
人生で初めて点滴を受けることにもなり、さすがに心細い数日でしたが、今は無事に日常を取り戻しています。
文字を綴るだけの気力もなかなか戻らず、日記も止まったままになっていました。
それでも、横になっている時間の中で、お会いした紳士様方のことを時折思い返しておりました。
今日は、月の初めにお会いした、ある紳士様との時間で感じたことについて綴ろうと思います。
この場所に立つようになってから、私は何度か「空気が変わる」瞬間に触れてきました。
ふとした視線や、手の置き方ひとつで、そこが日常の延長ではなくなることがあります。
その日も、まさにそうでした。
服を自分の手で脱ぐよう促された時。
前から、後ろから、視線が刺さるのを感じました。
直接触れられていないはずなのに、見られているという事実だけで、身体の置き場が分からなくなる。
羞恥とは、大きな言葉や派手な演出によって生まれるものばかりではないのだと思います。
何も言われていない時間。
それでも、確かに見られている時間。
その沈黙の中で、私は自然に射すくめられていました。
そして、身体が自由を失う感覚。
逃げようとするより先に、逃げ道そのものが閉じていくような感覚。
自由が遠くなるほど、頭の中に残っていた言葉も少しずつ輪郭を失っていきます。
言葉が少ないからこそ、触れ方や呼吸、肌に残る感覚が、いつもより鮮明になる。
声で説明されない分だけ、こちらの身体が必死に読み取ろうとする。
その集中の中に、私は確かに引き込まれていました。
ひとつの世界に足を踏み入れるには、時間があまりにも短いことがあります。
限られた時間の中で、ようやく力が抜け始めた頃に、終わりが近づいてくる。
もっと知りたかったこと。
もう少しだけ身を置いていたかった空気。
言葉にならないまま残ってしまった感覚。
それらは名残惜しさでもあり、同時に、次へ続く余白でもあるのだと思います。
私の知らない入り口は、まだいくつもあるのでしょう。
その前で立ち止まるたびに、私はまた緊張し、それ以上に期待してしまうのかもしれません。
あの日、視線と手の中で失った言葉の続きを。
またいつか、確かめられる日を待っています。
葉末 透子
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