先日。初めて、仕事を終えた足でこの舞台へ向かいました。
ほんの1時間前の私は、いつものように表情を整え、求められる役割の中にいました。
画面に並ぶ文字を追い、相手の声の温度を測り、ひとつずつ返事を探していく。
それはもう、身体に染みついた手順のようなものです。
けれど、仕事を終えて外に出た瞬間。
日常の輪郭が、少しずつ別のものへ切り替わっていくのを感じました。
駅までの道。街の空気。鞄の重さ。
どれもいつもと変わらないはずなのに、その先に待っている時間のことを思うと、胸の奥が落ち着かなくなる。
不思議なものです。
同じ身体で、同じ声で、同じ記憶を持っているはずなのに。
向かう場所が変わるだけで、私は少しずつ「葉末透子」になっていく。
この短い期間の中で、以前にもお会いしたことのある方と、また向き合う機会をいただけていること。
それは、この世界に足を踏み入れる前の私が思っていた以上に、嬉しいことでした。
初めましてではないからこそ、言葉にするほどではない小さなものが、前よりも少し、分かるようになる。
その積み重ねがあるからこそ、委ねられることがあるのかもしれません。
その時の触れ合いは、必ずしも「SM」という言葉だけで括れるものではありませんでした。
形や手順よりも先に、もっと素直なところで身体が反応してしまうような時間。
考えようとする前に、呼吸が変わり、力の入れ方を忘れていくような時間。
整えた言葉では追いつかないものが、確かにそこにありました。
以前の私は、何かを差し出すには、まず自分の中で理由を整えなければいけないと思っていました。
けれど今は少し違います。
安心があるからこそ、手放せるものがある。
そしてそれは、激しさとは別の場所で、静かに私の形を変えていくのだと思います。
仕事帰りの身体に残っていた緊張は、気づけば別の熱に置き換わっていて。
日常から離れたはずなのに、どこかで日常よりも正直になっているような不思議な感覚が、いつまでも残っている気がしました。
切り替わるということは、失うことではなく、別の在り方を許すことなのかもしれません。
葉末 透子
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