透子日記 『記号のかたち』

この場所の扉を叩いてから、三週間が経ちました。

とはいえ、実際に「葉末透子」として息をした日は、まだ片手で数えられるほどです。
初めてここに立った日の私は、自分の輪郭をどう保てばいいのかも分からず、ただ緊張の中で息をしていたように思います。
名前も、立場も、振る舞いも……すべてがまだ少し借り物のようで、誰かに見つめられるたびに、自分の中のどこを差し出せばいいのか戸惑っていました。

それでも。
わずかな、けれど確かな出逢いの中で、私は少しずつ、この場所での呼吸の仕方を覚え始めているのかもしれません。

昨日お会いした紳士様は、以前、私が日記に綴った「記号」という言葉を覚えていてくださいました。
何気なく置いたはずの言葉を、丁寧に拾い上げられること。
それは嬉しさと同時に、少しだけ怖いことでもあります。
私が隠したつもりでいたものまで、きっとそこには滲んでいたのでしょうから。

穏やかに見守るような眼差し、父性にも似た優しさ。
けれど、ひとたび空気が変われば、その手に私はただ導かれるほかありませんでした。
不意に笑ってくださる瞬間がありました。そのたびに、張り詰めていたものがふっと緩んで……けれど次の瞬間には、目の前の現実へ引き戻される。
その穏やかさと厳しさの間で、私という記号は、また別の形へ書き換えられていきました。

まだ完成ではありません。
むしろ、完成しないことに意味があるのかもしれません。

社会の中で求められる私は、いつも正しく、分かりやすく、扱いやすい記号であろうとしてきました。
けれどここでは、その形が少し歪んでもいい。言葉にできない間があってもいい。
綺麗に整えていたはずの私が、誰かの手の中で別の意味を持ち始めてもいい。

そう思えたことが、昨日の一番静かな変化でした。

帰り道、いつものようにスマートフォンを開いても、しばらく文字を打つ気になれませんでした。
昨日の私は、少しだけ返事の仕方を忘れていたようです。

三週間前の私とは、確かに、違う形をしているのだと思います。
それがどんな形なのかは、まだ自分でも分かりません。

けれど、もう少しだけ、この書き換えの続きを見てみたいと思っています。

葉末 透子

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