先日、いわゆるシチュエーションプレイと呼ばれるものに触れました。
その場ではうまく言葉にできませんでしたが、後から思い返すほど、あれは「役に入る」時間だったのだと思います。
私は学生時代、演劇部にいたことがあります。
脚本を書いたことも、舞台に立ったこともありました。
決して上手だったわけではありませんが、自分ではない誰かの言葉を借りる感覚は、今もよく覚えています。
ただ、役に入ると言っても、それは一人で完結するものではありません。
相手の声のトーン、沈黙の長さ、視線……
そして、台本にはない一拍。
舞台の上では、台詞そのものよりも、その前後にある呼吸の方が大切なことがあります。
先日の時間も、それに少し似ていました。
その紳士様は、「スタニスラフスキー・システム」という言葉を教えてくださいました。
役の外側だけを真似るのではなく、その内側にある感情や動機へ近づいていくための考え方なのだそうです。
詳しく語れるほど学んでいるわけではありません。
それでも、少しでも演劇に触れていた身として、その響きには懐かしさと、不思議な納得がありました。
SMという行為も、もしかすると「役に入ること」と少し似ているのかもしれません。
ご主人様と従う者。
導く側と委ねる側。
あるいは、もっと名前のつかない関係。
けれどそれは、ただ設定をなぞるだけでは成立しないものなのだと思います。
その場にいる二人の呼吸が重なって、初めて少しずつ場面が生まれていく。
同じ言葉でも、誰が口にするかで違って聞こえる。
同じ沈黙でも、そこにある温度によって、身体の反応が変わってしまう。
同じ役であっても、相手が変われば、そこに生まれるものは決して同じではありません。
ある程度決められた筋書きがあったとしても、すべてが予定通りに進むわけではない。
むしろ、ふとした間や、予想していなかった言葉に、自分でも思いがけない反応をしてしまう瞬間があります。
その曖昧さの中に、役に入ることの怖さと、抗いがたい面白さがあるのだと思います。
私はまだ、この場所で多くを知っているわけではありません。
それでも、誰かの作る空気の中で、自分一人では辿り着けない反応に出会うことがあります。
相手がいるからこそ、生まれるものがある。
こちらの呼吸を受け取ってくださる方がいるから、私もまた、その場に身を預けることができる。
シチュエーションプレイについて、その紳士様は「SMとはまた少し違うもの」だと話してくださいました。
確かに、そうなのかもしれません。
それでも、あの時間の中にあった掛け合いの感覚は、私にとって新鮮で、心地の良いものでした。
相手の言葉や間を受け取り、その場で返していく。
シチュエーションプレイも、SMも。
またいつか、台本には書かれていない一拍の中で、次の言葉を探してみたいと思います。
葉末 透子
コメント