これまでにも、自由を奪っていただいたことは何度かありました。
けれど、足先から全身を丁寧に結ばれていくような時間は、私にとって初めての経験でした。
机の上に並んだ麻縄を見た時、胸の奥が静かに強張ったのを覚えています。
これから何が始まるのか分からない緊張。
それなのに、どこかで逃げたくないと思っている自分。
目隠しをされ、視界を閉ざされた中で感じるのは、手つきと、縄の音と、肌に触れる感覚だけでした。
そこには、痛みを気遣う言葉以外、ほとんど会話がありませんでした。
しかし、その沈黙が不思議と心地よかったのです。
無理に意味を与えられることなく、急かされることもなく。
縄が擦れる音、息遣い、気配。
そのひとつひとつに、ただ集中していく時間でした。
言葉がないからこそ、触れ方の確かさがよく分かる。
声で導かれるのではなく、縄と手つきだけで少しずつ自分の姿勢が変わっていく。
それは、思っていたよりもずっと静かで、心地よい体験でした。
いくつかの形を経験させていただいた中でも、特に後ろ手に結ばれた時の感覚が、強く残っています。
自由が少し遠くなり、身体の向きも、逃げ道も、いつもより自分のものではなくなる。
縄がきゅっと締まる瞬間、思わず呼吸まで小さくなるようでした。
以前、別の紳士様が、この行為は考えすぎてしまう頭を身体の感覚へ戻してくれるものだと話してくださったことがあります。
その言葉を、昨日また少し違う形で思い出しました。
単に動きを奪うものではないのかもしれません。
余計な力を抜かせて、言葉や思考よりも先に、身体の反応を受け取る。
誰かに預けることで、ようやく自分の内側が静かになるようなものなのだと、不自由になる自分を俯瞰しながら考えていました。
昨日の紳士様からは、「縄セラピー」という言葉も教えていただきました。
まだ扉を開けたばかりの私にも、その響きが少しだけ腑に落ちる気がします。
目隠しを外された時、部屋の明るさに目を細めました。
そして鏡の中に映った自分を見た時、「きれいだ」と思いました。
自分自身が、というより。
赤い縄に結ばれた身体の線が、ひとつの作品のように見えたのです。
普段、私は自分の身体を、どちらかといえば扱いに困るものとして見ている気がします。
人からどう見えるかを自分で考え、TPOに合わせて正しい形に整え、はみ出した部分を隠さなければいけないもの。
それが本当に正解なのかも分からないままに。
一方で、昨日の鏡の中では、その身体が他者によって意味を与えられていました。
赤い縄が走ることで、私はただそこに在るだけで、少し違うものになっていた。
それが、美しかったのだと思います。
縄の跡は、言われていた通り、驚くほどきれいに消えていました。
あれほど確かに結ばれていたはずなのに、肌は何事もなかったように元の姿へ戻っていく。
それでも、鏡の中で見た赤い線だけは、まだどこかに残っている気がします。
またいつか。
あの静かな赤の中で、知らない自分の形に出会えたらと思っています。
葉末 透子
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