まみ日記-待ち焦がれていたこと

まみです。

前回の日記のことです。
私が何度も見た「固定されて、触られる夢」について書いた後、たくさんのメッセージをいただきました。
多くの方の心の中にも、言語化できていないだけで、複雑な感情が渦巻いているんだなと実感し、私自身安心しました。

今日は、あの夢に出てきた「恐怖」と「快楽」という、一見矛盾した感情が、私の中でどう結びついているのかを書かせてください。

「見知らぬ男性」と、コントロール喪失の甘さについてー。
夢の始まりは、まるでホラー映画みたいに怖かったんです。手足が動かせない。見知らぬ男性に見張られている。助けを呼ぶことも逃げることもできない。
...まさに「コントロール喪失への恐怖」 でした。
でも、私たちが生きる現実ってどうでしょう?
...キャリア、人間関係、将来への不安…毎日「自分で決めなきゃ」「責任を持たなきゃ」というプレッシャーが重くのしかかってきます。

あの夢の「見知らぬ男性」は、一見怖くても、実は「現実の責任」から私を一時的に解放してくれる存在だったのかもしれない、と思うんです。全てを知らない影の彼に委ねた瞬間、自己決定の重荷が降りて、私は究極の休息(そして快楽)を手に入れたんじゃないかな、と。

そう考えると、あの「恐怖」は、自分自身の無力感や脆弱性を突きつけられることへの緊張感であって、その緊張が極限まで高まるからこそ、それに続く快感や解放感が劇的に増幅される んだと理解できました。

夢の中で、あの「知らない手」が徐々に大事なところに迫ってきたときー。
「はじめて人に恥ずかしいところを触られた」という羞恥心と倫理的な緊張 で、頭の中はパニックでした。
夢の中の話だけど、鮮明に覚えています。

「ドキドキと感じる自分の鼓動」 が最高潮に達したんです。

これが、私の考える「支配による快楽」の本質です。

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